モーターサイクルイラストポスター A3規格サイズ
お気に入りの1枚をA3サイズフレーム(額縁)に収めればお部屋の素敵なインテリアに。
お求めやすい価格ですのでコレクションもお奨めです。
※当商品にフレーム(額縁)は含みません。
420×297㎜ 4色オフセット印刷
各イラストに解説文同梱
宅配便80サイズ
ヤマハ発動機の記念すべき第一号車 YA-1の解説文(東 信亨氏による)をご紹介します。
1955 YAMAHA YA-1
後発のハンデを吹き飛ばした第一号車
ヤマハがバイク産業に参入したのは1955年。現存する国産4メーカー中、最後発である。'50年代前半の日本は、朝鮮戦争の勃発('50年)に伴う特需景気と、その休戦('53年)によるデフレ不況という、激しい景気変動の渦中にあった。ヤマハ(当時は日本楽器)社長・川上源一氏は、そんな困難な時期にバイク製造に乗り出すことを決意。日本楽器は第2次大戦中、航空機のプロペラを製造しており、そのための工作機械を有効活用する意図もあったらしい。さっそく欧米メーカーのバイクの研究が行われ、その結果ドイツのDKWを参考にしたバイク開発が始まった。こうして'55年に生まれたのがヤマハの記念すべき第一号車、YA-1である。エンジンは空冷2ストローク単気筒ピストンバルブ123㏄で、5.6㎰/5,000rpmの最高出力を発生。ミッションはまだ3速が大半だった当時、すでに4速。フレームはシングルクレードル、サスはフロントがテレスコピック式、リアがプランジャー式。外装デザインは東京芸大教授・小池岩太郎氏のグループ(Group Koike、現在のGKダイナミックス)が担当。図抜けてハイセンスなデザインと、七宝焼きのタンクマークに象徴される仕上げのよさで、視覚的にも高級・高品質をアピールしていた。YA-1はデビューした直後、第3回富士登山レースと第1回浅間高原レースというビッグレースに出場。
ホンダなどの強力な先行メーカーを抑えて見事に優勝し、性能と品質の高さを証明した。これで後発のハンデも完全に吹き飛び、YA-1の人気は一気に沸騰したのである。独特なマルーンの塗色と小柄で美しい車体から、YA-1は”赤トンボ”の愛称で親しまれた。なお “ヤマハ”とは、日本で初めてオルガン製造に成功した明治の偉人・山葉寅楠(日本楽器の創業者)にちなんだもの。3本の音叉を組み合わせたトレードマークは、ヤマハが楽器製造からスタートした会社であることを、誇りとともに示しているのだ。
解説:東 信亨